2014年7月10日 (木)

資本主義の終焉と歴史の危機

水野和夫氏の本を読んだ。

最初からちょっとついてゆけない気分の「金利と資本収益率」。だが読み進めばそれなりに納得できる。

学生時代に読んだ「成長の限界」と言うローマクラブの報告書ですでに成長に対する限界は述べられていたので時代がやっと追い付いてきたのだろう。

成長の限界では述べられなかった経済の観点からの分析が分かり易く記述されているが、解は今後の英知によって見つけられるだろうという楽観的な見方も示されている。

興味深かったのは金利ゼロが許されると言うことは投下する資本を回収できなくなくなった状態を表し、先進諸国では資源(生産資源とエネルギー資源)を利用して金を稼ぐことができなくなる状況と言うことのようだ。それを著者は交易条件の悪化という形で表現する。

もう一つは中心と周辺と言う概念で利益の収奪がなされるということを歴史的な観点で解説している。興味深いのはこの観点で陸(スペイン)から海(イギリス)へと覇権が移動し、そこで実物取引で収益を上げることができなくなった、すなわち収奪する周辺が無くなった段階で新たな収益空間を確立したのが電子・金融空間であると説明する。

そして実物空間及び電子・金融空間において周辺を国家間と言わず国家内の人々の中に作り出すこと(すなわち利益の収奪先)を資本主義が要求することになると説明する。その結果、中間階級が周辺として破壊されたことで民主主義の中心であるべき中間階層をなくして民主主義をも破壊することになってしまうことを危惧している。

アメリカをはじめとする先進諸国は新興諸国の台頭によって交易条件が悪化し、もはや実物空間では成長が望めない状況にあるが、中国もいずれは行き着く先は同じ状況となるであろうと推測している。

それを念頭に置くと中国が無理やり資源に固執してウィグルの独立を認めず、南シナ海においてベトナムやフィリピンと紛争関係にあるのは資源を確保することで国家として利益を上げる仕組みを確保しようとする行為であると理解できる。

然しながら中国もやがて限りある資源を安価に確保して利益を上げる仕組みの限界に達するが、彼らはそれが資本主義の限界とは認められず周辺国を侵略してそれらの国々から収奪することに舵をとる手段に打って出るのだろうと推測される。その萌芽が現在の南シナ海や東シナ海における傍若無人な行為であり、中国指導者層四千年の伝統たる行動思考様式である。

日本についてはゼロ金利で先頭を走っているので次の時代に向けた政策を考えることができるにも拘らずアベノミクスのまやかしによってその貴重な機会を失っているとする。

資源の限界を補うことは無から有を生成することでしか補えないとなれば、現時点では不可能であると言わざるを得ない。となれば再生可能な資源を最大限に活用することで成長は無くとも均衡状態を維持する仕組みを確立することがより一層大切になることは明白である。そうした観点からは第一次産業を再生・維持することの重要性が認識される必要があるが必ずしもそうした方向に向けた動きは無い。同時に限られた資源を再利用する仕組みをより幅広い領域において効率的且つ無駄なく実行できることが重要となる。然しながらあくまでも効率性と輸出を狙った成長戦略がアベノミクスであるから著者は成長と言う言葉に反応する。

読み終えていろんな感想があるだろうが、読んでみて考え始める良い機会を与えてくれる本であることは間違いない。

2013年11月 6日 (水)

Ne le dis a Personne(French:2006)

小さい頃から将来を誓った妻と子供のころに遊んだ湖で事件が起こり妻が殺される。

そして八年後妻の殺人容疑がかかる中、謎のメールで妻が生きていることを知る。

妻の父親の告白で何があったのかを知り、妻と記念の場所で再開する。

殺人犯の容疑をかけられるが息子の病気を面倒見た犯罪者に匿われ、真実に迫ろうとする主人公の必死さが伝わってくると同時に権力者の闇が色濃いフランスを感じる。

階級社会と呼ばれるヨーロッパ、それが少ないと思われている米国でも権力の周辺では常に腐敗が漂っている。

権力に阿る司法や警察が不正に手を貸して誰かに罪を被せるのは日本でもよくある。

多少はましにはなっているのだろうが、永遠には解消されることないのではないだろうか?

2013年1月 6日 (日)

The Cohst Writer(British:2010)

フェリーに残された車が先行きの不安感を暗示。

前任者の死で首相の自伝作成の候補者として呼ばれる。仕事の仕方で評価されて島に渡る。

島を自転車で走っているとき地元の老人に死体が打ち上げられた場所がおかしいという話を聞いて死因に疑問を持ち始める。

ある日前任者が利用していた車に乗り、偶然ナビを使用とすると前回セットされた行く先が現れてそのまま指示に従うと着いた場所には怪しい車。訪問の後には尾行されるが何とかフェリーから降りることで難を逃れる。この辺りから言われない恐怖を感じさせる。

港のホテルで前任者のメモに書かれた番号に電話し、助けを求める。ここからラストまで一気に話が展開する。

ラストシーンは作家が殺されたことを暗示する原稿が街を舞う。

見て損のない映画。

2012年9月10日 (月)

Before The Rain(1994: Britain, France, Macedenia)

第一部のマケドニア山岳地帯の夜空が感動的に美しい。

第二部で第一部の僧侶がイギリスで暮らす叔父と言う写真家が登場する。その彼女らしい雑誌の編集者と思しき女性が目にする写真の一枚に第一部で射殺された若い女性のもの。レストランで別居中の男性と女性が食事中に事件が起こる。女性が事件を起こした男性のことを気にかけていたのは、多分目にした戦争写真の一部に写っていた戦争犯罪者ではだったからではないのかと推測するのだが何の説明もない。

そして第二部で写真家を辞め故郷に帰った男性が巻き込まれる第一部とつながる対立。映画が作成された当時の事情を知らないと国連軍やアルバニア人との対立は簡単には理解できそうにない。男性の死が第一部へとつながる構成だが、第二部との関連で時間の流れがずれているのは繰り返しを意図するための監督の考えなのだろうか?

全般的には山岳地帯の風景がすばらしいのに反してそこで暮らす人々の対立が妙に生々しい。

写真家として登場する男性は「24」で刑務所から釈放を要求されて登場する人物に似ていると感じるのは私だけだろうか?

ベネチア映画祭で金獅子賞を受賞しただけのことがある見ごたえのある映画。

2012年8月 2日 (木)

外国人の名前の読み方

現在行われているロンドンオリンピックで表示される名前と日本のアナウンサーが読む内容が中国、韓国では異なっているケースが目立つ。

昔から言われている日本語読みの問題。

そろそろ読み方を各国の音に沿った形にすべきではないのか。

古くは金大中(kim dae jung)に関する報道で世界での報道と日本の報道が異なることから日本語読みを止めるべきではないかという指摘があったと記憶。

特に隣国である中国、韓国の人名や地名は正確に発音することを意識するため日本語読みをすることは止めたほうがより適切と考える。意味は理解できても相手が発する音を理解できないため意味が分からないのは、漢字が理解できる日本人にとってはもったいない。

漢字が中国から伝来してから漢字の音は変化している。そのため、日本人の音は相手に理解されないが、相手の音を理解できれば対応することはそんなに難しくない。好き嫌いに関わらず隣国の言葉を理解しコミュニケーションをとれることは今後ますます重要性を増してくる。

その第一歩は正しい音を身に着けること、次に吹き替え番組を止めて字幕を使用することで自然に理解をする機会を増やすことだろう。

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